新思潮 No.124 2014年1月号②
秋の園 有形無形の果実棚 吉見恵子
 収穫の秋を迎え、果実棚にはたわわに実った果実が溢れんばかりだ。生産者はいま、目の前にある有形の棚だけでなく、心の中の無形の棚にも充足感を覚えているのだ。「有形無形」という堅苦しい複合語を、ぎくしゃくせずに使いこなしたのは、表現者としての力だ。 〈細川不凍〉
手紙(ふみ)を書く 冷たい雨が降る前に 月野しずく
 秋の寂しさが忍び寄るような句だ。その秋のさなかに〝手紙〟を書くのは、一つのぬくもりでもあろう。手紙の相手との絆が気持ちを少しあたたかくする。〝冷たい雨が降る前に〟の気の効いたフレーズが、そのあたたかい手紙の相手との距離感を想像させ、多くを語っているようだ。〈岡田俊介〉
聖八月 日傘はひそとたたまれる 伊藤寿子
 八月十五日はカトリックの祝日で、聖母マリアの死とその栄ある被昇天を祝う日である。「日傘はひそとたたまれる」のフレーズからは、祈りを捧げようとする人の静寂にして敬虔なる所作が窺える。抑制の利いた清爽感のある表現が、つつましやかな佳品に仕上げている。〈細川不凍〉
コーヒーに夜明けの白を足して飲む 福井陽雪
高齢を幸齢と書き筆を置く 福井陽雪
 〝夜明けの白〟とは純白の白に通じる、いいイメージだ。夜が白々と明ける頃に飲むコーヒーは考えるだけでも、非日常の世界のように思われる。コーヒーに入れるフレッシュの白さを夜明けの白さに喩えたが、夜明けを混ぜ込んだコーヒーの香りがする。そう言えば、私は未だに夜明けのコーヒーを飲んだことはないが、きっと身体に染み渡ることであろう。
 高齢を幸せと感じるのは、少数派だろうか。幸せは老いてこそ感じられるものかも知れないとも思う。先々の夢も欲も無くなって到達する一つの境地が〝幸せ〟なのだろうかと考えさせられる。〝筆を置く〟の下五でその思いの揺るぎないことを暗示している。〈岡田俊介〉
みずうみはそろそろ秋を発つ支度 西田雅子
 晩秋の湖の静謐なたたずまいを、見事に描出できたのは、作者の心が澄み切っていたからだ。極上の風景画を観るような心地好さがあるが、私もそろそろという人生的感慨も滲み出ていて、味わい深い作品になっている。一字一句もゆるがせにしない作者の、気配りの賜だ。〈細川不凍〉
みどり黄みどり今鎮魂のわらべ唄 元永宣子
 東日本大震災が起きてから、二年八ヶ月が経った。遅々として進まぬ人間達の復興を尻目に、自然の回復力はダイナミックで、津波に襲われた跡地には草木が生え、みどり黄みどりで覆われるようになった。
 先般、外国人の有名コーラスグループが被災した人々のためにコンサートを催し、その中で熱唱した『故郷』に感涙した。その歌声も、揚出句の作者の祈りも、天国に届いた筈だ。〈細川不凍〉
もう泣くまい遺影を抱いて鵙日和(もずびより) 堀 紀子
 この句は母の遺影を抱いている作者の悲しみに暮れる情景でありながらも、鵙日和を意識したところに、気持ちを持ち直す決意が感じられる作品だ。〝鵙日和〟の語から、鵙の鳴声が秋の澄んだ空気の中に消える様子さえも見えてくる。この下五が作品に落ち着きを与えた。〈岡田俊介〉

銅鐸に刻まれた鹿 神の国 古谷恭一
枯葉揺れ風に心拍告げられる 福田文音
月夜になれば 覗いてならぬ芒原 大谷晋一郎
伝うべき一期も夢と苔の生う 杉山夕祈
 
秘すものは秘す石蕗の花咲いて 濱田玲郎
窓枠の秋 遠いむかしのヴィオロンの みとせりつ子
枯葉はらはら鬼の首ころころり 佐藤純一
霧を掬う カラカラ落ちている記憶 小林ひろ子
初まらぬ終わりポトリと大落暉 岩崎眞里子
 
冬を生む一匹へ放ついっぴき 細川不凍
群青の水を集めるふるさとよ 斎藤 漣
蜻蛉の刃光りにひるがへり 北山 茂
どんぐりとおもへば一つ落つるおと 望月幸子
ビー玉の転がり終えて安らかな 寺田 靖
2014.2.17

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