

新思潮 No.126 2014年5月号③
手にグラスロゼの呟きピアニシモ | 吉田 浪 |
狂おしき無音の落花 椿山 | 吉田 浪 |
全く別人の句かと思えるほど楽しく味わえた。色彩も豊かな七句の中、モノクロで散り出す椿がより際立つ。「椿山」としたのも、「椿かな」とする表現と比較すれば、感傷を減らして、自分の心情の投影に無理がない。「狂おしき無音」は、たどり着いた一つの境地に他ならない。 〈矢本大雪〉 | |
角砂糖春の重さに沈みゆく | 西田雅子 |
角砂糖の紅茶に沈む一瞬を捉えた作品。沈む様子が見えるのは珈琲よりも紅茶だろう。春愁という言葉があるように、春はそこはかとなく愁いを感じるものだが、紅茶に溶ける様子を愁いの中に溶けるかのように表現し、楽しむ春と愁う春を一緒にしたような気分を創出した。〈岡田俊介〉 | |
瑠璃椀の温き薬湯春の風邪 | 夕刻閉門 |
〝瑠璃椀〟はうつくしい言葉だ。ガラス器で湯の風邪薬を飲む様子をうつくしく表現した。春の風邪の憂愁のようなものを感じさせるし、一句の中の言葉は洗練されていて、〝温き〟の言葉さえ、春の気分を創出するのに役立っている。風邪の一断面を美しく詠んだ。〈岡田俊介〉 | |
去ってゆく人まだやわらかき蕾 | 西郷かの女 |
去る人は、絶えず動いている。私をここに置き去りにして。ものの芽のこんなにやわらかくなっているのに、咲く気配を見せてはいるのに、残されてしまった喪失感でまだ咲けない。〈矢本大雪〉 | |
はらからの時空かもめの群と在り | 松井文子 |
海辺で一族が集まったときの情景を詠む作品群。「はらから」の句では、〝時空〟の言葉で、はらからのみの集いであることを上手く表現したし、充実した刻を思わせてもいる。折からのかもめの群を捉えて、はらからの時空に影のように対峙させている。〈岡田俊介〉 | |
限りあるいのちを抱いて四季逍遥 | 元永宣子 |
当たり前のことを当たり前に詠う。むずかしいことではない。命の限りを思わざるを得ないのは、もう十分に生きてここまできたからだ。この命とともに味わえる日本の四季は、なんと美しく、なんと儚いのだろう。〈矢本大雪〉 | |
少年は手のひらだけで振り返る | 姫乃彩愛 |
一本のただいっぽんの 二月尽 | 姫乃彩愛 |
〈矢本大雪鑑賞〉 「君に」と題する七句は、君の正体をついには明かさなかった。勝手に、巣立つ少年(息子さん)を想像してみた。母の期待と哀切さがあふれ名句であることは間違いない。背中のまま手をふって別れる子、その背中が歩き出す一本のまだ幼さを残す木にしか見えない母の眼。あるいは子の姿が見えなくなった後も残る木の強烈な思い出。 一呼吸おいて前半の悲嘆を受ける「二月尽」が、鮮烈で忘れられない二月となった。 |
|
一本のただいっぽんの 二月尽 | 姫乃彩愛 |
〈細川不凍鑑賞〉 一本を取ったのか、取られたのか。何れにしても、言葉を重ねてまで強調したかったのは、それが心に刺さる決定的な一本だったからだ。その一本に作者の心は支配されたまま、厳しい二月は尽きんとしているのだ。「一本」をどう読むかは読者次第で、このような真意を作品の背後に沈潜させた寡黙的表現は、シャープな知的操作が不可欠だ。 |
|
指切りの指を解くや春嵐 | 山下華子 |
蒼天を射抜くサルビアなり孤独 | 新井笑葉 |
母の忌へ声をころしてゆく花野 | 板東弘子 |
届かなかったのは何雪の立春 | 濱田玲郎 |
戦ぐとは哀しい漢字柳の芽 | 谷沢けい子 |
梅一輪二人芝居はなお続く | 福井陽雪 |
朱のままで我も散りたし寒椿 | 松村華菜 |
手紙かく途中の雁の去っている | 酒谷愛郷 |
渇仰や億兆年を隔つとも | みとせりつ子 |
水仙も声をあげねば匂わねば | 越智ひろ子 |
後ろから触れてくる手は時持たず | 寺田 靖 |
思いこむ器の中の春の色 | 小林ひろ子 |
欠け茶碗老いの生きざま捨て切れず | 堀 紀子 |
こんにちは左様なら いま水の中 | 鮎貝竹生 |
2014.6.18