新思潮 No.132 2015年5月号より①
杞憂など軽くくるぶし越えてくる山崎夫美子
句集『葉桜の坂』で高い表現力を示した作者である。この句、「杞憂」という抽象的な言葉を、蹴散らすかのように躍動しているのが「くるぶし」で、その具象による絶対的な存在感は魅力的だ。表現の核ともなる力を具えている具象は、大切に扱いたい。〈細川不凍〉
玄関で桜ひとひら振り払う古俣 麻子
身に付いた桜のひとひらは、世の満開の桜を想像させるだけの描写力がある。玄関といい、ひとひらといい、言葉の採用が適確だ。今の今まで桜が満開の非日常の世界にいた身が、家に帰りつき、これから家人になるというその境界である玄関で、桜を振り払い、それまでとは別人になるのだろう。さりげなく詠まれているようでも、言葉のひとつひとつが適確な位置を占めている。〈岡田俊介〉
鶴千羽つないで杖となる陽射し岩崎眞里子
前句に置いた「一ポトリ二ポトリいのち最終便」からは点滴を受ける危篤な状態が想起されるので「鶴千羽つないで」は深く強い祈りの後に、あたかも待ちわびた春のように薄雲の間から回復の兆しが射してきたのだろう。けれど「杖となる」に予後の日々にまで思いが及んでいる。〈古俣麻子〉
ひっそりと吾を飛立つもののあり松田ていこ
思い出は色褪せずしてもだんだんと思い浮かべる間隔は開き、面影も少しずつ不明瞭になりやがて写真を見ずには思い出すことも難しくなってくる。「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」とはかつてのラジオドラマの冒頭のナレーションだそうだが今でも心に響く。人生には別離や喪失などの悲しさ、苦しさから救ってくれる神の慈悲のひとつが忘却であると聞いたこともある。ひっそりと旅立つものがあるならひっそりと送ってあげるのがいいのだろう。〈古俣麻子〉
どう光当てても影になる帽子寺田  靖
二句目の〝影になる帽子〟も超現実のイメージで、影になろうなろうとする帽子を創出している。何かに喩えるでもなく、単なるイメージの面白さであり、こういう無意味性のつよい作品もトライしてほしい境地である。異質な空間の背後に流れる作者の心情は少しさびしいものかもしれない。〈岡田俊介〉
水平線ふくらむ春待ちの流氷伊藤 寿子
右は九十九折り左は孤舟 さて月野 しずく
おだやかな海で手足を縛られる新井 笑葉
花捨ての坂高ければ天へ行く桂 由輝花
マッチ擦るわたしが消えてゆかぬよう松村華菜
鈴あまたあまたの鈴の音と病む西条 眞紀
降りしきる雪間雪間の喪章かな矢本 大雪
ゆっくりと歩む タトゥーの象姫乃 彩愛
桜の息をあびるひとりぶんの椅子澤野 優美子
ひたすらに確めながら赤い靴越智 ひろ子
2015.5.16

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