新思潮 No.132 2015年5月号より②
ひと晩で婆の踝まで桜 大谷晋一郎
架空の世界を想像させる〝婆〟を登場させて、桜の彩を一層豊かにしている。桜の妖艶さは婆さえ呑み込んでしまうようで、一晩で桜花の広がる様子を描いている。〝踵〟の用い方がこの桜の雰囲気を上手に創り出すのに成功している。〈岡田俊介〉
春キャベツザクリと割れば陽の住人吉見 恵子
春の雰囲気がよく出ている作品群だ。冬から春へと移る季節は、春ならではの、今までとは違った脈動が感じられる季節だ。ものみな春に取りつかれたような佇まいを見せ始める。作者はキャベツの中にもそれを感じたのだ。〝陽の住人〟と表現するきらびやかな陽を見たのである。〈岡田俊介〉
父の口笛後からそっとつけてみる酒谷 愛郷
多くの父と息子の場合、微妙な距離がある。それは疎いとか照れとか単純なものではなく、尊敬してはいても仲良いと言えるような無邪気な交流ができないことが多いのである。これは潜在的な男同士のライバル意識であるのかどうかは知るよしもない。けれど老父、亡父と呼び方が変わる頃になると、父親の来し方にしみじみと想いを馳せる場合があるようなのだ。口笛を吹くような楽しげな顔を見せた遠い日の寡黙な父親の心情を、あれこれと切なさと共に懐かしく想像してみるのだろう。〈古俣麻子〉
檸檬切る角度が 瞬時から酔に山内  洋
レモンの切り方はたいてい輪切りか櫛切りだろう。だからナイフをいれる角度は垂直だと思うのだが一字空けが意味深長である。また「酔いに」と「い」を入れないのは「スイ」という音読みが「酸い」も喚起させて「檸檬」と呼応するのも計算されているのだろうか。スパッとした感覚が小気味の良い句だ。〈古俣麻子〉
集団で焦がしてしまう地図いろいろ細川 不凍
時事吟の課題は文芸としていかに残すかであろう。抽象的に詠めば時代が移ると何のことだかわからなくなってしまったり、具体的に詠めば見出しやスローガンのようになってしまう危惧もある。社交界のルールとして政党、贔屓球団、宗教の話はするなと言われているらしい。先の号で不凍さんは「片柳先生は句に政治や思想を盛ることをとても嫌っていた」と師の方向を記していた。きな臭い時勢になれば必然的に各々の作品の色彩も変わってこようが、片柳先生の美学を伝承できる平和な世の中であってほしいものだ。〈古俣麻子〉
うつむいて反撃開始までの呼吸(いき)古谷恭一
姉の聖域うす氷張っているみとせりつ子
暖めている場所があるマグカップ福田文音
書架の本 浅い春には鷺を待つ岡田俊介
大水槽の海月の時間持ち返る小林ひろ子
そのままの私をなぞる春の指福井陽雪
復興誓う一人ひとりの手にタクト松井文子
春浅し訃報ことりと鳥籠に鮎貝竹生
方舟とおぼしき白い委任状杉山夕祈
花びらになり花になり人になり潮田 夕
2015.6.15

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