

新思潮 No.136 2016年1月号より②
木菟の棲む指笛を野に放つ | 大谷晋一郎 |
鶴を折れぬ挫折感かな愚かかな | 大谷晋一郎 |
今号の大谷作品は異彩を放つ。いつもは淡々と田園風景を詠んでいるのだが、今号の作品は鬼気迫るものがある。 〝木菟の棲む指笛〟の野性は、こころの野性でもあるだろう。木菟(みみずく)と一体化した指笛、すなわち自然の宿る指笛から、並々ならぬこころの叫びのようなものが聞こえてくる。〝野に放つ〟と、すでにこころは自然と一体化しているのだ。こころに何かを秘めている故の野性なのだ。 〝鶴を折れぬ〟の表現も、やさしさの象徴ともいうべき、鶴を折るという行為から程遠い気持ちを確かめているようだ。挫折感、愚かの語で表現されるこころの荒々しい動きが、鶴を折るやさしさとは反対の感情であることを語っている。〈岡田俊介〉 | |
水平に夜空を運ぶ由紀さおり | 澤野優美子 |
二、三年前、由紀さおりの歌声が世界を駈け巡った。美声に国境はないのだ。彼女の唄う『手紙』や『夜明けのスキャット』は、レコードが擦り切れるくらい僕は病床で聴いた。その「水平に夜空を運ぶ」歌声に、どれほど癒されたことか。それにしてもこのフレーズ、絶妙過ぎる。僕自身、夜空と一緒に運んでもらいたいくらいだ。〈細川不凍〉 | |
採血の上澄み君の空がある | 伊藤 寿子 |
循環器科で毎月血液検査を受ける僕だが、ガラス容器の中の採血に、上澄みができることを知らなかった。気の小さい僕は、採血の間、血を見ぬよう眼を逸らしているからだ。「君の」は作者自身に向けた「君の」と解釈したい。病気なんかに負けるな、という自分へのエールだと。作者の心の澄みが捉えた「上澄み」である。〈細川不凍〉 | |
飲水(みず)を買うこの感覚に今を生き | 細谷美州子 |
〝水〟の一連を作句したが、水はいろいろな場面に使えて、しかも句に落ち着きを与える言葉の一つだ。この句はさらに〝感覚〟の言葉を用いて、新鮮さを出している。飲水(みず)を買う感覚とは、昂ぶりもなく、言わば平常心に近い感覚で、そこに作者の表情を見せている。作品の中で言葉が響き合うようになってきた。〈岡田俊介〉 | |
月光のかくまで尖り冬家族 | 梅村 暦郎 |
老境を格調髙く詠む作品群だ。「月光」の句は老境ゆえに月光までもが尖っているという感覚である。この感覚は感受性の強さゆえのものであり、するどくなった月光が家族に降りそそぐのである。月光に刺されるかのような思いがする、さむざむしい情景である。〈岡田俊介〉 | |
泡沫の少女に戻るレトロカフェ | 月野しずく |
〝泡沫〟の一語が作品に彩りを与えた。少女に戻れることのできる場所は人によって違うだろうが、作者は少しレトロなカフェでそういう気分を味わったのだ。そこに現れた少女が泡のように消えてゆくところが、儚くも美しい情景だ。句の中の一語の耀きが作品を支えているのは明らかだ。〈岡田俊介〉 | |
心はらはら花をこぼせり芒のメール | 西条眞紀 |
楼門にひとつ覚えの謡(うた)がある | 山崎夫美子 |
あの鳥のうしろ姿を見て以来 | 寺田 靖 |
秋を担いでひよっこりひょこり父と母 | みとせりつ子 |
山眠る麗夢(レム)の小径に一滴 | 鮎貝竹生 |
序破急の急の斜面の野菊かな | 吉田 浪 |
手踊りの螺旋に絡む虹の糸 | 杉山夕祈 |
暗転のドラマが続くおもちゃ箱 | 元永宣子 |
惜別の思いで細る十六夜 | 松村華菜 |
青く澄むほど鬼籍の馬へ近づいて | 山内 洋 |
素うどんに戻るわたしの放浪記 | 中嶋ひろむ |
2016.2.10