

新思潮 No.137 2016年3月号より②
おくすり手帳イソップの咳をする | 澤野優美子 |
三月のパセリのようなクシャミする | 西田 雅子 |
涙は方舟(はこぶね)やがてやがての春を呼ぶ | 姫乃 彩愛 |
お薬手帳を持つのは、病人である証拠を見せているようなもので、あまり自慢できるも のではない。イソップ寓話は一見笑いに充ちているが、その裏には辛辣な風刺があって、 人間を警鐘している。そう読むと「イソップの咳」は、薬に無知な、盲信的な生き方をす る現代人を揶揄しているようにも思える。西田作品の「パセリのようなくしゃみ」とはど う云うくしゃみか。季節は三月だから、花粉症のくしゃみかと思ってしまう。パセリの葉 は縮れていて、何となくむずむず感がある。食感も不味い。だからその比喩は、感覚的に 分からないでもない。「涙は方舟」も、一滴の涙の中に、人類への救済の思いや全ての生 命への賛歌が含まれているとすれば、方舟は適切な比喩で、やがて希望へとつながる地平 の春が見えてこよう。〈古谷恭一〉 | |
落書きの横にはいつも風と書き | みとせりつ子 |
書いてはいけない場所に書かれた悪戯な言葉。その横に「風」を添えたのは、風評や風 説といったパワーのある言葉にレベルアップを願ってのことか。それとも風のように飛ん で行け、とのことか。川柳が川柳らしい輝きを見せるのは〝意地悪精神〟だ。〈細川不凍〉 | |
樹の影が二つ双葉を光らせる | 岩崎眞里子 |
微笑ましい光景である。双葉は発芽したとき最初に出る葉。子葉である。樹の影は擬人 化され、あたかも父母のような慈愛に満ちた影を放っている。ちょうど、人間の父母とそ の子の構図として描いているのだ。自然に接するとき、それを人間の世に対峙させる見方 は作者ならではのものがある。〈岡田俊介〉 | |
墓守りの齢がちぎれ雲になる | 高橋 蘭 |
齢がちぎれ雲になるという表現上の発見が愉しい句だ。老いた墓守りが、墓をバックに ただしずかに歩くだけで、ちぎれ雲が飛ぶという構図であり、墓守りのしぐさや、もつ雰 囲気さえも感じ取ることができよう。この墓守りは、読者それぞれの身近な人に喩えるこ ともできるだろう。そうするとまた別の味わいが出てくるにちがいない。〈岡田俊介〉 | |
姓は藤名もまたふじと云ふ名妓 | おだ 一騎 |
芸者遊びには疎いが、この句から、粋で、艶やか過ぎず、地味過ぎずといった名妓が想 像できそうだ。まして、姓も〝藤〟、名も〝ふじ〟とは、藤の化身のようで、藤色が似会 いそうだと想像するだけでも愉しい。雑詠は自分を詠むことが多いが、これに限るもので はなく、川柳作品は自由であってよい。その自由を謳歌しているような作品である。〈岡田俊介〉 | |
バラ石けん溶ける頃には来る春か | 福田文音 |
おびただしき人語かき分けむかしの珈琲 | 西条眞紀 |
いつからか顔失ったまま眠り | 酒谷愛郷 |
一行を貫き通し星今宵 | 杉山夕祈 |
ヒヤシンスいよいよ青き文机 | 越智ひろ子 |
添え書きに染み入るドット喪のように | 潮田 夕 |
雨音青く消える 睡るための雨 | 岡田俊介 |
被告席から覗く原色の街 | 元永宣子 |
マーフィの法則がある蛇の穴 | 古谷恭一 |
春というボタン 階段駆けめぐる | 山内 洋 |
2016.4.10