

新思潮 No.147 2017年11月号より①
屋根の鳩に秋ぬけてゆく 眠らぬ女 | 桂 由輝花 |
屋根にいる鳩がみるみる秋に染まってゆく光景が浮かぶ。その光景と〝眠らぬ女 〟の対峙が新鮮だ。秋を風のように捉えた視点の面白さと、その一瞬に過ぎる季節 を超えてゆく〝眠らぬ女〟の存在感が際立っている。この世の最後を見届けようと して眠らないのであろうか。〈岡田俊介〉 | |
あじさいの雨を伝って仲直り | 伊藤 寿子 |
人には情けと云うものがある。情けがあるから、人を許したり、助けたり、仲良 くなったりする。雨には、人の情けを伝える力があるらしく、沢山の詩や唄にそれ は表現され、人の思いやり、男女の機微、細やかな愛情が伝わる。「あじさいの雨 」は日本人の心情に叶った美しい情景で、相合傘がよく似合いそうである。そうい えば、渡哲也の演歌にも「あじさいの雨」があったが、身勝手な男を許してくれ、 と云う歌詞だったような・・・これも仲直りの範疇だろう。〈古谷恭一〉 | |
心に沁みる情緒があって、絵手紙にそっと添えておきたい佳品だ。「伝うて」と すると時間に脹らみが生じ、更に佳い。〈細川不凍〉 | |
夕焼けの傷あと朝の戸を開ける | 岩崎眞里子 |
怪我の快復期にリハビリに励む毎日なのだろう。「夕焼けの」の句は、夕焼けさ えも、傷を残すというから、こころの痛みが聞こえてくるようだ。その痛みを抱え ながらも、開ける朝の戸からは希望の光が差してくるにちがいない。気持ちを一新 させる光である。〈岡田俊介〉 | |
曼珠沙華咲いても咲いても暮れている | 酒谷 愛郷 |
曼珠沙華は死人花とか地獄花とか呼ばれて、暗いイメージが定着している。もち ろん、曼珠沙華に罪がある訳はなく、人間の勝手な思い込みである。そう思われる 以上、人間界では、いくら華やかに咲いても、否定され、卑しめられる。努力しが いのない曼珠沙華である。「暮れている」は、いかにも曼珠沙華のマイナスイメー ジを表現、赤、夕焼け、死などに連動するが、私には曼珠沙華の途方に暮れるさま が、殊更哀れに面白く感じられる。〈古谷恭一〉 | |
先人の雄たけびの声道游割戸 | 重田 和子 |
一連の作品は佐渡島の風物を詠んでいる。この作品は、道游(どうゆう)の割戸 (われと)という、佐渡金鉱の山を掘り進んで、V字型に割れたような異様な形の 山を見ての思いであろう。その下部の坑道で流人が働いたのだろう。それを思いつ つ、流人たちの幻の雄たけびを聞いたのだ。私も40年ほど前に柳都の大会の帰りに 、一度佐渡金山を訪れたが、流人たちは薄暗い中で鬼になって働いたのだろうと思 ったことを覚えている。〈岡田俊介〉 | |
地図と缶コーヒー秋の空くぐる | 月野しずく |
秋の空をくぐって非日常の世界へ行くかのように書かれている。それも日常の〝 缶コーヒー〟を携えてのことだ。日常のまま新しい季節へと入り込むという、気持 の揺れが感じられる作品だ。地図を持って行く、その行き先は、この際二の次だ。〈岡田俊介〉 | |
神様のうしろにまわる口紅か | 姫乃 彩愛 |
大花野ミサイル飛んでくるかも知れぬ | 鮎貝 竹生 |
まろび寝に晩夏の風鈴ピアニシモ | 吉田 浪 |
鳥を撃つこころを 空の蒼さから | 岡田 俊介 |
赤とんぼことば二つは神隠し | 西条 眞紀 |
ゆく夏の風を押したり戻したり | 秋田あかり |
長月の嵐シンゴジラが吠える | 野邊富優葉 |
手に掬う秋の匂いの栞など | 大谷晋一郎 |
木苺が熟れる北穂はまだ遠い | 越智ひろ子 |
母にまだ耕す朝のある限り | 細川 不凍 |
2017.11.24