

新思潮 No.153 2018年11月号より②
布を切るまっすぐ青い部屋になる | 吉田 州花 |
これから何らかの服を作る、その第一歩として〝布を切る〟のだ。そのときのこ ころのあり様を青い部屋に収束させたが、これから始まる自分だけの世界を想像さ せる〝青い部屋〟である。着るものを縫う前の〝布を切る〟行為が、これから始ま る針仕事の隔絶された空間を作り出すのだろう。〈岡田俊介〉 | |
猫の足白露を踏んで来たような | 大谷晋一郎 |
その猫の足が文字どおり、白く見える露を踏んできたように、美しく濡れている のであろう。非日常から抜け出してきたような猫を想像させ、猫に神秘性をも与え るのに成功している。〈岡田俊介〉 | |
土砂の海 ことば笹舟アメンボウ | 岩崎眞里子 |
地震の記憶を詠むものだ。このごろ日本のどこにいて も地震に遭遇するから、地震の記録は誰が書いても不思議ではない。土砂の海は、 豪雨でも起き、地震に限らないが、この海にあっては、ことばも笹舟、アメンボウ と同様に無力に見えるだろう。これらは平穏な時でないと、意味をもたないのかも しれない。〈岡田俊介〉 | |
まなざしを針目にこめた藍こぎん | 福田 文音 |
〝こぎん〟は、小巾、小衣と書き、青森で使われる短い丈のひとえの仕事着だそ うだ。胸や肩に白の木綿糸で幾何学模様を刺子にする。この句はその模様の部分に まなざしを篭めたというのだが、非日常のひととき、熱心に針を使う様子が目に浮 かんでくる。〈岡田俊介〉 | |
祭壇の前に出てゆく蟻として | 新井 笑葉 |
聖地に世界中から集まる群衆の映像を見た。大教会の中で途切れることのない列 が祭壇に祈りを奉げるのも見た。偉大なる信仰の前では人間はなんと小さく従順な のだろう。画面は移り、小さな村の祭り。身を粉にして収穫した作物を祭壇に供え たら、笛や太鼓に合わせて働き者の村民たちが歌う、踊る、飲む、食べる。まもな く雪に閉ざされる前のいっときを、老若男女良く笑い、よくしゃべり、笑い声を絶 やさない。〈古俣麻子〉 | |
先の世へいざなう蝶の羽音かな | 細川 不凍 |
金色に発光しながら蝶が飛翔する。大きく美しく羽ばたくたびに虹色の粉をまき 散らし、遠くに鳴る鈴の音のようなえも言われぬ澄んだ音が聞こえる。蠱惑的な羽 音に誘われて追いかけると、ふわり身体が浮かび、なんと空を飛ぶことができる! 両手を広げ長いスカートを翻し、不思議な蝶と戯れながら花野を越え、緑の峯を越 え、白い雲と戯れるうちに、いつしか少女に戻っている。ああ、なんと自由なのだ ろう。ふと横に飛ぶ蝶を見ると発光が弱まり羽も透けてきている。地平線に目をや ると夕陽が隠れ始めている。視線を戻せばもう蝶の姿はなく、私は目を覚ます。鬼 の攪乱が見せたつかのまのまぼろし。〈古俣麻子〉 | |
組紐の解かれてゆく月の部屋 | 吉田 浪 |
合わす掌にはじまる月蝕さとき耳 | 西条 眞紀 |
耳熱しひそかに抱く地上の火 | 杉山 夕祈 |
詩がひとつ病理検査に回される | 氈受 彰 |
目隠しの隙間から見る此の世かな | 山下 華子 |
前髪を切るひんやりと通り雨 | 越智ひろ子 |
約束に背いて秋は斜向かい | 月野しずく |
文学や文字喀きつくし哭くべかり | 梅村 暦郎 |
2018.12.23