

新思潮 No.155 2019年3月号より①
ビニールの約束風にしてしまう | 澤野優美子 |
紅茶日和の空を上書き保存して | 澤野優美子 |
柔軟で自在な発想と独特な表現が相俟った伸びやかな作品である。「ビニールの約束」は風のように軽く、紅茶でもいただきたい気分で見上げた空だろうか「紅茶日和の空」は、記憶に上書き保存したくなるほど清々しい。《水の記憶はアフガン編みのようなもの》のアフガン編みは、不凍さんの言う水の記憶のDNAのように水平軸のしっかりした編み方である。読者を奇想天外な世界に誘う澤野作品、ますます楽しくなる予感がする。〈岩崎眞里子〉 | |
深秋のスケッチ人はまぼろしに | 山崎夫美子 |
石段をバサリと斬って塔の影 | 山崎夫美子 |
《悠久の時間に刺さる避雷針》と今号「人は幻」・「石段を斬る塔影」に、大和路の風景を撮り続けている入江泰吉の写真が浮かんだ。人は一人も写っていないのに、悠久の時を染みこませた路地や石段からは人の世の優しさが静かに伝わってくる。古都奈良を詠う山崎作品の静けさもまた切なさを秘めている。その静けさの中で私達は遠い時空間に誘われ、現実と想像の世界を往き来する。作品の静けさは溶けこんだ作者の心である。〈岩崎眞里子〉 | |
粉雪の音とねむりに墜ちてゆく | 松田ていこ |
全てを呑み込んで降る雪にも音がある。耳で聞く音ではなく、降る雪の呑み込んだ音源が身の裡へと響く音である。その中で最も幽かな…聴こえたような気のする音が「粉雪の音」であり、《おちば踏む白いテラスへつづく径》の落葉を眠らせる慈悲の音とも思う。厳しい雪国の暮らしを丸ごと愛おしむ作者故に聴こえる音である。〈岩崎眞里子〉 | |
卓におく便りは遠い所から | 富永 恵子 |
この日常のひとこまは美しい響をもっている。遠い所からの便りを、卓におくというだけの内容だが、〝卓におく〟ところに、その遠い所の人を大切にしていることが伝わってくる。日常のひとこまを切り出しながら、余韻を生んでいるのだ。きれいな文体に仕上げられ、遠い所の雪景色や樹氷なども連想させてくれる。〈岡田俊介〉 | |
雪予報朝井まかてを積んでおく | 吉田 州花 |
「ペンを持つ月の力を借りている」を見て、以前作者が『想いだけで創作が出来ない時には言葉を置いてみると動き出すことがある』と言った事を思い出した。言葉を置くとは、己の裡に浮かぶ言葉であり、培われた読書が花開く時でもある。蔵書処分中にも関わらず昨年買い求めた中に朝井まかて著「雲上雲下」がある。物語が世界から消えるという壮大なファンタジーで、『語られることで物語は生き続け、それを聴き自分を物語ることで人は生きている』と読了した。川柳もまた物語である。〈岩崎眞里子〉 | |
吹雪かれて来た人馬のふぶかれにゆく | 細川 不凍 |
寝返りを打たねば異界見えそうで | 細川 不凍 |
雪の下駄はいて天までつづく道 | 細川 不凍 |
昨年は「災」と表されたほどあちこちで大きな災害があった。《月光のこぼるる先に身を寄せ合う》等作品は北海道胆振東部大地震を詠んでいたが、未だ消えぬ恐怖に「寝返り」を打ち続けている人達がいる。生きるとは、寝返りを打ち続けながら吹雪かれることかも知れない。だとすれば、吹雪かれに行こうではないか。居直りではなく、現実を丁寧に受け止めながら生きようという心意気である。歩けば雪の瘤が溜まる下駄を履き、その雪の瘤々を力に変えて、天上へと続いているこの道を。〈岩崎眞里子〉 | |
斜線濃くわが佇つ闇に光の澪 | 西条 眞紀 |
クリスマスツリー 風のツリーと知るときも | 岡田 俊介 |
屋根を打つ白いっぱいに凍銀河 | 岩崎眞里子 |
スクランブル広場遅れまいとして | 松井 文子 |
今日の陽が傾くりんごむくように | 秋田あかり |
目覚ましに嫌われ役を押し付ける | 野邊富優葉 |
君がいてロダンの顎に辿り着く | 中嶋ひろむ |
墨一滴春打ち下ろす筆の先 | 細谷美州子 |
新元号わって出て来る福袋 | 重田 和子 |
きょうから春 空にうっすら発効日 | 西田 雅子 |
2019.3.17