新思潮 No.159 2019年11月号より①
家あれば家路があって芙蓉咲く岡田 俊介
 タイトルの〈ノスタルジア〉に促された訳ではないが、子供の頃、帰宅時になると町内放送で「家路」のメロディが流れていたのを想い出す。俊介作品には〝品〟がある。それを支えているのが、創作意識と深く関わる美意識である。その持ち前の美意識が、着想から句姿を整えるまでの段階で、円滑にはたらいているからこそ成し得た秀吟が掲出句なのだ。下五の「芙蓉咲く」も、あたたかく迎える光景が窺えて良い。〈細川不凍〉
捨て猫に路地裏という天地ありみとせりつ子
 ニンゲンとはなんと忙しない生き物なのだろう。スピードを出して走り交うクルマやオートバイの危ないことったらありゃしない。ちょっと覗いただけでも追い払われてしまう店先、水をかけられたことだってある。その点路地裏はいい。餌をくれるおばあさんもいるし、縄張りさえ守りゃあ、日だまりの昼寝、床下の雨宿りだって自由自在だ。たまに追いかけまわしてくるコドモもいるが、なあに、遊びだと思えばたいしたことじゃない。〈古俣麻子〉
信心のゆび曖昧に墓参り吉見 恵子
 夫の実家に初めて行ったとき、宗派の違いか地域性なのかお盆の風習が全く違うことに驚きを覚えた。都会に住み、葬儀でも無い限りそれぞれの家系の宗派も忘れがちで、子育ての節目に神社へ詣でたり、クリスマスを祝ったり、お寺の祭りにも参加したり、信心とはほど遠い暮らしをしている。年に数度行くお墓参りも形式的で、季節ごとの花や旬の料理を仏壇に供える時の方が、より祖父母、父母を思い出す指なのである。〈古俣麻子〉
鍵閉めて開けて独りを生きるとは松村 華菜
 独りを実感するときはいろいろあるが、鍵の開け閉めもその一つであろう。否もっとも実感するものかも知れない。鍵を開けるときや閉めるときの音は、歩んできたわが人生が立てる音のように聞こえるときもある。この句はそういう鍵の触感を鋭く捉えた。〈岡田俊介〉
 くしゃみする東尋坊の崖の上古谷 恭一
 東尋坊の崖の上に立ったことがある。世を儚んでいたわけではない。まだ二〇代、友人三人で蟹を食べに横浜から金沢までドライブした時の寄り道である。日本海の空と海は暗く、断崖の岩肌や打ち寄せる波の荒々しさと冷気に恐怖を覚えた。観光やサスペンス撮影場所として訪れる人が増えてイメージは明るくなったようだが、くしゃみが出そうな時にはご用心を。〈古俣麻子〉
山葡萄婆の口元尖る秋大谷晋一郎
逆風のなかやわらかな日だまりが西条 眞紀
過去帳はここに始まる百合香る吉田 州花
裏井戸の汲めども尽きぬものがたり細川 不凍
コップ割れて夏が散らばる 遠い谺板東 弘子
仮の世の仮の姿のセミ仰臥野邊富優葉
台風一過 月を抱える海の家月野しずく
赤い花 あなたの雨は何色ですか姫乃 彩愛
日常へ下山得たもの失くすもの古俣 麻子
最後まで覗けなかった兄の川立花 末美
竹林に遠雷妖し十三夜小川 尚克
あなたから魔法を解いて違う秋峯島  妙 
2019.11.18

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