

琳琅 No.160 2020年1月号より①
頭から雪をかぶって屋根になる | 岩渕比呂子 |
生気の漲ったダイナミックな表現が印象的だ。まるで破れかぶれのような「頭から雪をかぶって」から、決意表明的な「屋根になる」までの一気呵成的な心情吐露に、微塵も揺るぎがない。家族を護るのだ、という強い一念が、ヒューマニスティックな句を結実させたのだ。〈細川不凍〉 | |
三丁目一四番地冬のはじまり | 吉田 州花 |
この詠み方は新鮮である。作者の住所地と「冬のはじまり」としか詠んでいないのに、またやって来た冬をしみじみと思い、冬の始まりへの静かな緊張感が伝わって来る。と同時に、まるで冬を玄関先で迎え入れるかの如くでもある。冬とは喧嘩をしないし、泣き言も言わない。しなやかに迎え入れ、冬を暮らすという作者の佇まいが見えるようである。〈吉見恵子〉 | |
失った時間いかほど蓮の花 | 古谷 恭一 |
「ドブに落ちても根のあるやつは、いつかは蓮(はちす)の花と咲く」は映画『男はつらいよ』の中で、渥美清の歌う主題曲の一節。ベースになっているのは、箴言の「泥中の花」である汚泥を養分としながらも、清らかな花を咲かせて見せる蓮。そこに私達は、世俗のあらゆる汚れを浄化した悟りの姿を見るのだ。掲出句では、「失った時間」が「泥中」に当たる。「失った時間」は私達人間が実生活の中で、マイナスにはたらいた時間である。恨み、辛み、妬み、過ち等々がそれに当たる。しかし、それらを省みることで、何かしら浄化され、悟りへと近づくことが出来るのも、私達人間なのだ。〈細川不凍〉 | |
黒飴がころがる晩秋の鉄路 | 天野 唯子 |
この句は、鉄路に黒飴が転がっただけの景色であるが、技巧が感じられる。「黒飴がころがる」で、黒飴をズームアップし、「晩秋の鉄路」でズームアウトしつつ黒飴の置かれた全体の景色を映し出す。さらに、黒飴の黒光りや奥深い晩秋の暗さ、伸びている鉄路の硬質な黒が相まって、異なる黒が響き合っている。この効果が作品をしっとりとさせ、余情を与えている。〈吉見恵子〉 | |
弱肩にふんわり冬の羽根降りる | 月野しずく |
「冬の羽根」は、もちろん雪であろう。「弱(よわ)肩(かた)」、「ふんわり」、「冬の羽根」。どれも、頼りないもの、柔らかで消え入りそうなもので構成されている。そのあえかなる軽やかさや純白感が、この句の味わいとなっている。弱肩を、ふんわり雪のコートで覆うがごとくである。〈吉見恵子〉 | |
鱗片の青さを旅の始めとす | 杉山 夕祈 |
人類進化の過程で、魚類の果した役割は非常に大きい。セキツイ動物の始まりこそ円口類(ウナギ等)に譲るが、続く魚類になってからは、鱗片の輝き鮮やかに、劇的な進化の歴史を辿るのだ。その辺りの魚類の決意表明的な表現が清清しい印象を残す。『琳琅』代表の新スタートを切るにふさわしい句姿の美しい作品でもある。〈細川不凍〉 | |
縁という時間(とき)の間(あわい)に咲く勿忘草(はな)よ | 吉見 恵子 |
赤ワインを開ける感覚 九月くる | 岡田 俊介 |
晩秋の挿絵に描くスプラウト | 澤野優美子 |
木洩れ日を秋バーゲンのポシェットに | 福田 文音 |
おきふしの椅子の窪みに秋迫る | 吉田 浪 |
夢の投網を母とたぐりし天の河 | 細川 不凍 |
秋を生きむらさき色をいそぎ足 | 伊藤 寿子 |
この壺をのがれし水に月写す | 桂 由輝花 |
くれないの林檎パシッと真っ二つ | 小川 尚克 |
トンネルの暗さに似たり束ね髪 | 山下 華子 |
詩人の目鉢に納めて外は雪 | 富永 恵子 |
群青のピラニア うつくしき殺意 | 中嶋ひろむ |
本ひらくように白鳥翔び立てり | 西田 雅子 |
2020.1.8