琳琅 No.161 2020年3月号より①
空屋敷 壁には百の烏瓜吉見 恵子
 日本の空き家事情は深刻で、私も空き家となった実家に月に一度帰り、終わりのない片づけをしている。雑草が伸び放題の庭に、埋もれるようにある空き家は哀れでもある。掲句は空き家と言っても屋敷である。かつては何世代にも渡って大家族が住んでいた賑やかな家だったのかもしれない。今では百もの烏瓜が壁を伝い、ぶら下がり、この屋敷の主である。不在と存在が、空屋敷と真っ赤な烏瓜に象徴されている。あるいは死と生。〈西田雅子〉
生と死の狭間椿の落花音天野 唯子
 静寂さの中で、椿の落花音が余韻を残す句である。椿の花が、「生と死の狭間」で、ゆっくりと花の命を終えようとして落ちて来る。落花音が、地に響く。この落花音が、命に限りがあることや命の儚さを暗示して、作者の心に響いているようだ。〈吉見恵子〉
枯蟷螂飛び立つかたちしたまんま鮎貝 竹生
 "蟷螂の斧"の諺があるほど、相手かまわずに手向かう蟷螂である。今、作者の眼に映るのは、死んで乾涸びてしまった一匹の蟷螂。いくら闘争本能が強くても、老いには勝てないのだ。しかし、喰うか喰われるかの過酷な世界で、懸命に生き抜いた姿が、「飛び立つかたちしたまんま」の語句に凝縮されている。小さな生きものに寄せる作者の鎮魂の想いは仏性に通底する。それが静かに、僕を琴線へと導くのだ。〈細川不凍〉
きみを着て聴く平場の雪のおと澤野優美子
 きみの思いが暖かいコートのように包んでくれる。「きみ」「着て」「聴く」の「き」の音の連なりは美しく、きみへの思いは静かに深まる。平場は妨げるものが何もないきみへのまっすぐな気持ちと重なり、ひらがなの「おと」に静かに降り積もるきみへの思いがこめられている。平場ということばが新鮮で素敵に響く。〈西田雅子〉
ふつごうを晒す氷河のまのあたり野邊富優葉
 米国の元副大統領アル・ゴア著『不都合な真実』がベースに在る句。「ふつごう」なのは豊かさや利潤を追求し、地球温暖化の因となるCO2を大量に排出する国や大企業側である。その影響で氷河が崩壊する様を、テレビ映像で何度か観たのだが、その都度スルーしてしまった。書き手としての心が不在だったのだ。その点、掲出句の作者は表現意識十分で見事。〈細川不凍〉
粘菌の無灯の迷路 智の起源杉山夕祈
 粘菌はアメーバー様単細胞生物。脳も神経ももたないが知的な動きをする生き物である。粘菌の行動原理に基づく新概念の粘菌コンピューターも考えられている。光を嫌い、光をあてることで任意の形に変形する。餌を置くと迷路全体に管を広げるが、最終的に餌と餌の最短距離をつなぐ管のみを残し、あとの管は衰退する。ヒトに比べればはるかに単純な構造の粘菌が、意外にも最先端のコンピューターの開発に生かせる。まさに智の起源。〈西田雅子〉
梅一輪 今日の幸せこれくらい岩崎眞里子
凍土抱く紅しんしんと眠るまで桂 由輝花
縁側に冬日集めて父母(ちちはは)呼んでみとせりつこ
ピアノ修行の少女春立つ日の空路松井文子
ふり払う蠅一匹の机上論古谷恭一
月の夜の薄の覚悟横抱きに福田文音
寒月に撃たれ艶めく椿の実吉田 浪
動脈から静脈へ銅鑼が響く月波 与生
春はそこ二ページめくる福寿草岩渕比呂子
瞳いっぱいコスモス咲かせ去る故郷松村 華菜
小春日に蕾ほどけてモーツァルト内藤 夢彦
やさしい言葉探せど冬の実紫谷沢けい子
2020.3.10

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