琳琅 No.162 2020年5月号より①
ふと二月木霊と耽る虚貝吉田  浪
 同じ作者の気韻と清澄感に満ちた第一句<蝋梅の一枝を選ぶ今朝の躁>から一転して、欝状態に在るのがこの句。「虚貝」は"うつろがい"と読むのだろう。自身の定まらぬ精神の有り様を、象徴的に描写した言葉で、「空貝」とも書ける。つまり貝殻だ。コクトーに<私の耳は貝の殻 海の響きをなつかしむ>というノスタルジアに富む美しい響きの詩がある。それとは違い、掲出句の「木霊」は作者の内部世界における痛みを伴う"響き"なのだ。ふとした感慨からの、内観を通して得た容易ならざるモチーフを、十七音に詩的昇華させた手腕は、浪さんの表現者としての矜持でもある。〈細川不凍〉
沸々と春は無念の空欄に松井 文子
 雪が少なかった今冬、あちこちで足早の春が吹き出しているというのにこの空虚感。「無念の空欄」がウイルスに翻弄されている今と重なる。〈岩崎眞里子〉
蔓性の杖にすがって伸びる背福田 文音
 杖は転ばないようにと使うが、転んでしまった場合にはとても使いにくい気がする。ましてグニャグニャした蔓性の物であれば尚のこと、杖の意味を成さない。でも大樹に巻き付いて上へ上へと伸びる蔓は、ゆっくり時間をかけて起ち上がっているとも言える。今度倒れた時は周辺を見回して、蔓性の心を捜そうと思った。〈岩崎眞里子〉
わたし脱ぎおえていっぽんの菜花なる天野 唯子
 まるで、菜花の精にでもなったかのように詠んでいる。身も心も世俗を脱ぎ捨てて、一本の菜花になっている。菜花となって、無心に時を流れているようだ。〈吉見恵子〉
朝東風(ごち)の凪いで漁師の眼に力藤本 健人
 朝東風が吹けば海は凪ぎ、漁に出る合図となるのだろう。俄然、漁師が仕事人に変身する瞬間を捉えて、下五に「眼に力」とリアリティを創出したことにより、活き活きとした句となった。平成二十八年十一月に壱岐で新思潮の研修会があり、その時に初めて玄界灘を渡った。行きは凪ぎで美しい夕陽を堪能できたが、帰りは図らずも時化に当たり、船が大揺れして慌てることとなった。しかし、玄界灘の海の優しさと厳しさを同時に知った、得難い思い出となった。〈吉見恵子〉
雪折れのつづきを囃す鼓かな細川 不凍
下意識は流れつづけて砂の街杉山 夕祈
紫になって独りになって 椿岩崎眞里子
香水の広がるような霧の町岡田 俊介
限りある花びらの散るジャズピアノ吉見 恵子
雲間より薄目のやうな二月空望月 幸子
疲れたと言えばよかったガラス瓶岩渕比呂子
きっぱりと布裁つように縁を切る山下 華子
過去達が目尻の溝を深くする野邊富優葉
ピーヒョロロ空からの詩ひと煮立ち重田 和子
暖冬に薄味の春蓋が開く田中 瑞枝
2020.5.9

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