

琳琅 No.162 2020年5月号より②
窪みからくぼみへ月の渡り切る | 伊藤 寿子 |
「窪み」は「凹み」とも書く。周囲よりも低く、へこんでいるところだ。凸凹の関係で云うと、凸は"陽"であり、凹は"陰"に当たる。陰暦は月の満ち欠けを基準にして決めた暦だ。"月"と"陰"の関係性が、昔から人間生活に取り込まれていた証しでもある。平常は顧みられることの多くない「窪み」であるが、月の女神はしっかりと寄り添っていてくれたのだ。作者の心根のやさしさが、作品の底流に在る。〈細川不凍〉 | |
手のひらの枯野を駈ける青き馬 | 中嶋ひろむ |
作者の胸の中を駈け巡る、青い馬を見た。その馬の背景となる「手のひらの枯野」の描写が、とても美しい。鬣を靡かせて若々しい馬が一頭、枯野を駆け巡っている。〈吉見恵子〉 | |
足らぬもの足らしほの白い繭の中 | 桂 由輝花 |
「繭の中」は、安心できる暖かい場所に違いない。そこは、足りないものは足りないままにも心地よく安らげる場所なのだ。色々な想いを抱けば、ほの白く光る繭ではあるが、この繭に包まれながらこの世を生きている。と、日常を簡潔に詠んでいるようだ。〈吉見恵子〉 | |
母という不思議な縁 おっと涙 | みとせりつ子 |
母と娘の関係は良し悪しに関わらずみな独特で特別である。良好の時もあれば衝突も行き違いも多く、その分思い出には事欠かない。割り切ってきたが齢と共に込み上げてくるものがある。「おっと」の中に作者を見た。〈岩崎眞里子〉 | |
転ぶたび私の中の薔薇が枯れ | 松村 華菜 |
何とも面白い表現である。作者が何事かに「転ぶたび」に、作者の胸の中の薔薇が一本ずつ萎え、枯れていく様子が鮮やかである。薔薇はあと幾何残っているのか気になってくる。女性の微妙な心理、プライドのようなものを「薔薇」に例え、存在感のある句とした。〈吉見恵子〉 | |
じりじりと白い耳鳴り満月浴びて | 西条 眞紀 |
あんぐりと口明けたまま停止線 | 古谷 恭一 |
残された言葉はペンダントになった | 吉田 州花 |
緋のいろを咥えて海はまだ赤い | 新井 笑葉 |
小市民ルビはきっとリアリスト | 佐々木彩乃 |
星たちが落ち合っている井戸の底 | 鮎貝 竹生 |
映画館の席では何も狂えない | 越智ひろ子 |
夢探しにとカピタンの遠眼鏡 | 氈受 彰 |
もしかして霞晴れたら見知らぬ世 | 伊藤 礼子 |
どれ程の風をたたんで野の芒 | 林 勝義 |
青過ぎた日へさよならを抱き離陸 | 月野しずく |
2020.6.9