琳琅 No.168 2021年5月号より①
花びらを呑んで鹵凡というゆらぎ杉山 夕祈
咲くことも枯れゆくことも空の青杉山 夕祈
 どうしても鹵凡(ろぼん)の意味が分からなくて作者に問うと次のような返信があった。「鹵凡は海水に侵された地のことを言います。私は飲み込み難いものを吞み込んでおぼつかない足でぬかるむ鹵凡に立っています」と。どんなに心許なくても「花びら」と表現した飲み込み難いものは、明日を信じようとする祈りのひとひらに違いないと思った。咲くことと同様に枯れゆくことも生命として受け入れようとする決然とした覚悟を感じた。〈岩崎眞里子〉
逍遥の瞳の春色に染まりゆく月野しずく
 逍遥する瞳は、草木の芽吹きや街や人々の装いの変化、春の騒めきを敏感に拾い集めてゆく。それが、「瞳の春色に染まりゆく」なのである。コロナ禍の閉塞感の中、やっと訪れた春への期待感と高揚感を表現している。〈吉見恵子〉
種切れは見せない手品師の帽子氈受  彰
 大本において種切れではあるものの、際どく小手先で切り抜けようとしている。手品師の矜持ゆえ、あくまでもスマートに限界は見せられない。同様なことは、才能やら仕事上の成功やらにおいて社会の隅々で生じていることだろう。人間の微妙な心理や駆け引きを「手品師の帽子」で表現しているようだ。〈吉見恵子〉
私より影の歩幅が速くなる山下 華子
 「私」をなおざりにして、意志あるがごとく影の歩幅が速くなるようだ。いつもは「私」に従う影が、私を支配しようとしている。この影は飛躍への願望だろうか、それとも何かへの焦りだろうか。〈吉見恵子〉
ぶり返す吹雪 私という病吉田 州花
 病を追窮していくと、起因は私自身の内部世界に在った。そんな冷徹な自己観照が生んだ自虐の詩(うた)である。「ぶり返す吹雪」は、私という病の切実さを際立たせる内攻的フレーズ。感傷一辺倒のペシミズムと違い、自虐は太宰文学がそうであるように、内燃するエネルギーの詩的発露という輝きが見られる。風土に伴う心の有り様を、紡ぎ出すのが巧みな人だ。〈細川不凍〉
 地吹雪を切り裂いて舞う紅絹の朱色が浮かび、能舞台に躍り出た和服姿のカルメンを思った。作者のいう「私という病」は裡に漲っている生命への希求でもある。〈岩崎眞里子〉
身代わりに静かな湖面差し出さん姫乃 彩愛
三日月のしずくを受けて旅人に岡田 俊介
瞬きにまばたき返す虹消ゆまえに西条 眞紀
ショコラも片隅にあり寒見舞鮎貝 竹生
雪代と鳥と私と春うらら福田 文音
カルマを断って鳥になりたい零の空みとせりつ子
土塀の猫よ梅に浮かれて眠るがよい大谷晋一郎
アリバイの一つ壊れる花ミモザ立花 末美
エチオピアコーヒーの酸味 春立てり望月 幸子
樹を宿に月はあしたに眼を入れる岩渕比呂子
巣立つ朝机一卓がらんどう小川 尚克
2021.5.10

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